雪が降っています

ベランダから裏庭

雪国の人には珍しくもない写真だけれど、此処の土地でコレまで雪が降り積まなかったことがびっくり。大正時代に観測が始まって以来のことだと言う。雪がない冬はありがたいが不安もあった。早速ベランダからの風景を撮ってみた。この雪は今日ひとしきり降ってまた雨に変わり明日以降は暖かな日になると言う。ひと時の冬景色だ。
 昨日頭が痛いといいながら受験した後『寝て良い?』とネタ。今朝も何とかご飯を食べたものの学校を休んだ。私ものどが痛くて声が出ないのでかぜかもしれないな。月曜日に今回受験する中で一番偏差値が高かった学校を受験する。ここの出来次第で公立を如何するのか考える事になる。きょうはまあもう寝ていなさいと一休み。本人が不安にならなければいいのだと思いつつ、このところのひそかなインフルエンザ再燃の噂におびえる。ギュダ君のときはタミフルを飲みながらの受験だった。どうしてもこの二人は重なってしまう。

家計簿

一月の決算をした。受験があるから致し方ないのだが教育費が三分の一を占めている。なかなか厳しい。何とかしてボーナス分を完全に残さなければ私立に入ったとき入学年度の支払いがきつい。学校納入費もさることながら制服その他の個人の必要経費支出が半端ではないのだ。公立ならば制服はない。何とか入ってくれろと思うのはひそやかな願い。
だけど土壇場になったら『お金は何とかなるから、どこかに入ってくれ』と言うことになるのだろうな。兎に角今は「寝ろ」。
 私立はそれなりに校風に魅力がある。単なる滑り止めという感じはない。しかも二校とも私立大学に推薦枠を持っているから上智、南山、清心、白百合などなど某系列の難関校を目指すならば有利だけど。サラリーマンの収入で7人の子供を全員大学進学させるにはそれなりの困難が付きまとう。家計をにらみながら『行きたいところなら何処までも行けば良い』とはいえない現実を思う。やっぱり公立しかないんだよなあ。そうなるとさ。
 某事情で教育費の殆どを吐き出してしまって以来、すっかり子供たちの教育資金の計画が崩れてしまった。何とかやりくりをしているが、時々あの事情さえなければこの子がいきたいと願うところに何の不安もなく行かせてやれたのにと思うことがある。
 今はそのことを飲み込んで何とか最大限の努力をして、今出来る限界までのキャパシテイを大きくすることだけを考えようと思う。人生は計画通りにはいかない。それだからといってこの子を産んで育てることに対する責任は投げ捨てることは出来ない。事情が変わったら変わったなりに方法を考える。旧約聖書の中に『人は様々な計画を思い巡らすが、神の計画だけが成る』と言う言葉がある。生きるとはそういうことだ。言い訳は出来ない。しない。運命にゆだねるのではなく、その場所でその事情を飲み込んで自分の意思で「生きよう」と思う。祈りは其処からしか生まれない。

雪が降っています

雪国の人には珍しくもない写真だけれど、此処の土地でコレまで雪が降り積まなかったことがびっくり。大正時代に観測が始まって以来のことだと言う。雪がない冬はありがたいが不安もあった。早速ベランダからの風景を撮ってみた。この雪は今日ひとしきり降ってまた雨に変わり明日以降は暖かな日になると言う。ひと時の冬景色だ。
 昨日頭が痛いといいながら受験した後『寝て良い?』とネタ。今朝も何とかご飯を食べたものの学校を休んだ。私ものどが痛くて声が出ないのでかぜかもしれないな。月曜日に今回受験する中で一番偏差値が高かった学校を受験する。ここの出来次第で公立を如何するのか考える事になる。きょうはまあもう寝ていなさいと一休み。本人が不安にならなければいいのだと思いつつ、このところのひそかなインフルエンザ再燃の噂におびえる。ギュダ君のときはタミフルを飲みながらの受験だった。どうしてもこの二人は重なってしまう。

家計簿

一月の決算をした。受験があるから致し方ないのだが教育費が三分の一を占めている。なかなか厳しい。何とかしてボーナス分を完全に残さなければ私立に入ったとき入学年度の支払いがきつい。学校納入費もさることながら制服その他の個人の必要経費支出が半端ではないのだ。公立ならば制服はない。何とか入ってくれろと思うのはひそやかな願い。
だけど土壇場になったら『お金は何とかなるから、どこかに入ってくれ』と言うことになるのだろうな。兎に角今は「寝ろ」。
 私立はそれなりに校風に魅力がある。単なる滑り止めという感じはない。しかも二校とも私立大学に推薦枠を持っているから上智、南山、清心、白百合などなど某系列の難関校を目指すならば有利だけど。サラリーマンの収入で7人の子供を全員大学進学させるにはそれなりの困難が付きまとう。家計をにらみながら『行きたいところなら何処までも行けば良い』とはいえない現実を思う。やっぱり公立しかないんだよなあ。そうなるとさ。
 某事情で教育費の殆どを吐き出してしまって以来、すっかり子供たちの教育資金の計画が崩れてしまった。何とかやりくりをしているが、時々あの事情さえなければこの子がいきたいと願うところに何の不安もなく行かせてやれたのにと思うことがある。
 今はそのことを飲み込んで何とか最大限の努力をして、今出来る限界までのキャパシテイを大きくすることだけを考えようと思う。人生は計画通りにはいかない。それだからといってこの子を産んで育てることに対する責任は投げ捨てることは出来ない。事情が変わったら変わったなりに方法を考える。旧約聖書の中に『人は様々な計画を思い巡らすが、神の計画だけが成る』と言う言葉がある。生きるとはそういうことだ。言い訳は出来ない。しない。運命にゆだねるのではなく、その場所でその事情を飲み込んで自分の意思で「生きよう」と思う。祈りは其処からしか生まれない。