花は咲く
どんなにひどいことがあっても花はその時が来れば黙って咲く。何もなかったかの様に精一杯に咲く。たとえ明日切り倒される身であってもただ満開に花は咲く。近所にやがて切られる大きな桜の木がある。道路のために周りはみな整備された。工事がまだそこまで来ていないのに周りはみな整備され、持ち主の家屋敷も更地になった。せめて今年は咲かせてあげたい。みんなの願いがかなったのか、さくらは咲いた。もうすぐ工事がそこまで伸びてくる。移転の話もちらほら在ったけど、多額の移植費用をだれが出すのか、はたまたあんな大きな木が移植に耐えられるのだろうか。意見はいろいろある。ただあまりの花の美しさに用もないのに何度もその道を通った。出会いというものがある。人にも、生き物にも、そして樹にも。
事故から一年以上たった
やっと自分の保険屋から「弁護士から連絡が入りました」と電話が来た。見事に自分の保険屋も、相手の保険屋もこの一年二か月、私に連絡を取ってこなかった。こんなことのために高額の保険料を支払ってきたのかと腹が立った。何も私は悪くなかったのにと、いやな気持ちだけが残った。横断歩道の前で歩行者がいたから止まっていたのに後方から追突された。全損で、車は大破。一年以上通院した。しみじみと不満が残る。不満分子ここにあり。
久々に自分の原稿を書く
自分が何を書きたいのかではなく、何をまとめなければならないかだけでPCに向かっているから、いざ文章をまとめようとすると、言葉が出てこない。まるでカバンにぎゅうぎゅうに押し込んで,カバンのふたに乗っかってカギをかけてしまったので、言葉がみな押しつぶされて、私は哀しい気分になる。
今日は何とか土曜日の講義の分の原稿を造ろうと思う。今日まで追い込まれたのもわたしらしくなイなと思う。仕事が変わって今まで以上に自分の時間を自由にならなくなったことは大きかったな。体にゆとりが亡くなった。今までフットワークは良い方だったのにな。
それでもやめられないことがいくつかある。教育の現場にかかわること。美術館に通うこと。自分の世界を持つことができるチャンスは私にとって水を飲むようなもの。空気を吸うことができなければ生きられない。
気持ちがふさぐとき、無性に絵の前に立ちたくなる。
服装
今まで私の基調色はグレイ、黒、紺、ベージュ、白でした。そのバリエーションで十分変化も満足もできました。おととし、どうしても朱赤のコートがほしくなり探してグラニフのコートを買いました。今年グリーンのスカートを手に入れました。コットンの張りのある生地なので元気に見えます。今までの服にさし色として元気な色を足してゆこうと思っています。自己主張というよりも、私自身が色味がほしくなったのです。きっと自分自身が年老いてゆく中で無彩色になってゆくことに対して、「私らしくありたい」「ここにいるよ」と言ってみたくなったのかなと思います。
毎年復活祭にはゆで卵に絵をかいてお世話になった方たちに差し上げているのですが、その色合いやデザインがより淡く、可憐で彩の明るい絵になっていくことに、ああうれしいなと思います。私はきっと美しいもの、とげのないもの、明るいものにあこがれているのでしょうね。
ずいぶん長いことご無沙汰しました
去年の二月追突されて、車が大破し、13年続けた仕事をやめ、一年間治療しましたが、症状固定で痛みはそのまま。三月に母が亡くなり、心の中が寒くて、気ままな文章を書くゆとりもないままに過ぎました。四月から新しい職場で、自分の技術を生かした仕事に就き、今年もまた。もう一年の契約を結びました。そろそろ、自分の心に新しい風を吹き込むままに開け放ってもよいかもしれないとパソコンを立ち上げてみました。
また気ままに心の中の言葉を書いてみようかなと思っています。人とかかわる仕事をしています。私はきっと人間が好きなんだと思います。生きることが好きなんだと思います。有り余っている暮らしではないし、体力バリバリでもない。そんな私だから、きっと見えてくるもの、感じるもの、言いたいことがあるのだと思います。
思えば遠くに来たもんだ。誰かが言っていました。武田鉄矢さんの歌だったと思います。本当にこんなに長く歩き続けるなんて思いもしなかった。私の職場ではおそらく最年長であろうかと思います。そんな私が違和感もなくいることができるのは人の心を扱うことを生業としているからでしょう。私は魔女だ。だからちょっと周りと違っても構わない。不思議な人であっても構わない。そんな立場が気に入っています。